後輩の成長を見るのは、素直にうれしい。
営業にいったとき。
すぐれた提案書を見たとき。
これは無理だろう。という仕事をやり遂げたとき。
心から祝福したい。
そう、僕は、人の成長を見るのが大好きなのだ。
3月に入ってから、私が責任を持っていた部門のマネジメントを後輩に任せている。今日の会議も、後輩に運営を任せた。
素晴らしい出来だった。素直に喜べばよかったのだが、喜ぶとは異質の別の感情が芽生えたことも確かだ。
「素晴らしい。俺なんかよりはるかにすごい。いや、すごいは言いすぎだが可能性を感じる。」
すなわち、自分自身の能力に対して「これでいいのか」と危機意識を抱いたのである。
自分自身があまり得意でない分野を権限委譲しているのとは、また違う。
自分自身が得意と思う領域で、さらに優れ(ているかもしれない)才能に面したとき、
多くの人は喜ぶと同時に危機感を感じるのだろう。
ついに、後輩は能力の面で、自分を凌駕する位置に来たのだ。
これは、喜ぶべきことだ。しかし、自分も負けてはならないと思う。
手塚治虫は、すぐれた芸術家だったが、自分の地位を脅かす若手が生まれた時は、徹底的に戦ったという。
ゴルゴ13のさいとう・たかをに「君の絵はダメだ」といったのは有名な話だ。
本当の意味で、後輩の成長を喜ぶというのは、自分自身の仕事に危機感を感じる。ということなのだろう。
もちろん、人生の先を歩いているものの宿命として、彼らの仕事を全力で支援しつつ、同時に圧倒的な力の差を見せつけねばならない。
もっともそれができるから僕はすごいのだが。





