土曜日に仕事上での縁があって、公認会計士の天野さんのセミナーに参加してきた。
天野さんは、大学在学中に公認会計士に合格。コンサルティング会社勤務を経て、証券会社でM&A業務に携わり、現在は独立されて執筆活動とセミナーを中心に活動されている方だ。
きらびやかなキャリアからは想像できないほど、静かにお話される方だったが、ご自身の体験をベースにされた話は、説得力に満ち、大変充実した3時間だった。もちろん、経営哲学のみならず会計に関しても楽しみながら理解することが出来、大学で「死ぬほど退屈な会計」の授業を受けて、簿記・会計に嫌気がさしている人には自信を持ってお勧めできる内容だった。
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話は横道にそれる。
中華を初めて統一したのは秦の始皇帝だが、強大な秦帝国の礎をつくった政治家として商鞅がいる。
秦の孝公の時代に法治国家の概念を導入し根付かせた功績者だが、彼は孝公に認められるまでに、3度の謁見を必要とした。
彼が最初の謁見で話したのは、仁によって国を治める「帝」の道。
古の中国の三皇五帝が実践した、神の政治だが、これに孝公は興味を示さない。
二度目の謁見では、徳によって国を治める「王」の道。
かつての王朝である周が実践した政治の道だが、これにも孝公は興味を示さない。
最後の謁見の機会では、武によって国を治める「覇道」を説いた。
これを孝公は食い入るように聞き、商鞅を抜擢。彼を中心とした政治改革が行われることとなった。
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学びというのは、教えられる内容と、自分自身の興味・関心分野が一致したときに最大の成果を生み出す。社会人になってからの学びの特徴は、企業内人材育成入門という書籍の中で、「P-MARGE」と紹介されている。これは、それぞれの特徴の頭文字をとったもので、
P: Practical (大人の学習者は実利的である)
M: Motivation (大人の学習者は動機を必要とする)
A: Autonomous (大人の学習者は自律的である)
R: Relevancy (大人の学習者は関連性を必要とする)
G: Goal-oriented (大人の学習者は目的志向性が高い)
E: Experience (大人の学習者は豊富な人生経験がある)
と表される。
社会人になってからの学びの特徴を大変的確に表しているので、引用した。
本blogを読んでいただいている方にも思い当たるフシがあるのではないだろうか。
秦の孝公に話を戻すと、孝公は国内外に抱える問題を解決するために優秀な人材を常に欲し(=動機)、ことあるごとに教えの機会を得ていた(=自律的)。しかし、帝道・王道に関しては、争いが絶えず国として生き残ることが第一条件である現状を鑑みるとピンとこなかった(=人生経験、置かれている状況との関連性がなかった)。
一方、国内を治めるにあたって具体的かつ、すぐに導入できる策を求めていた(=目的志向性)彼は、覇道には興味を示し、中華に覇を唱えるという夢(=実利的)も叶えることが出来ると踏み、商鞅を抜擢し、法治国家としての第一歩を踏み出した。
となるだろうか。
少々強引だが、2500年前も今も、本質的には社会人が求めている学びには違いがないと思う。
その学びが、能力を高めるためであれ、人格を高めるためであれ、仕事に役立つものであれ、プライベートに役立つものであれ、大なり小なり、目的志向性が高く実利的なものでなければ、積極的に学ぶモチベーションに繋がらないのではないだろうか。
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冒頭の天野さんに限らず、最近の僕は、積極的に外部のスクールに足を運び、書籍や教材を取り寄せ、学びはじめている。
僕自身の目的で言うと、「社会人になってからどのように学べば良いか、ガイドラインをまとめたい。」と思ったからだ。経営者や教育者、投資家、コンサルタントと言われる方々の「学習法」や「体験談」には結構多く目を通してきたつもりだが、基本的には100人いれば100通りの最適な学び方がある。
全てをジョブウェブで提供することはできない。
だからこそ逆説的ではあるが、どのように学ぶべきか、「私(=ジョブウェブ)はこう考える」というものを整理したいと思っている。
なんのために、学ぶのか。
あえて僕自身の考えを述べるとすると、「豊かになるため」と答える。
学ぶこと自体に価値がある。という考えも、学ぶという行為を通じて、知的・精神的に豊かになりたいがために学んでいるといえる。
重要なことは、最近は豊かさの概念が変わりつつあるということだ。
(いや、既に変わっているのかもしれない。)
人類は文明の誕生以来、「物質的な豊かさ」を追い求めてきた。魚が豊かな漁場を求めるように、より安全な場所、美味しい食事、便利な道具を求めてきた。これは、生物の本能に根ざした活動で止めることはできないし、本来、素晴らしいことだ。
一方、「精神的な豊かさ」という軸も存在する。物質的な豊かさがそのまま精神的な豊かさに繋がる人は多いし、戦後復興など社会全体として豊かになることが精神の豊かさに繋がる時代もある。
ただ現在は、物質的には豊かになったけれど、精神的には豊かでない。という状態の人も大勢いるのではないだろうか。「物質的に豊かなことはいいことだ」という、かつての「時代の価値観」に引きずられ、世間的に見たら豊かなはずだが、「何故か、満たされていない。」という人も多いだろう。
本来、「物質的な豊かさ」と「精神的な豊かさ」は相互に矛盾するものではなく、相互に補完しあう関係であるはずだ。しかし、現在はそのバランスが崩れてしまっている人も多い。片方を得るために、片方を犠牲にしてしまっている人も多い。
重要なことは、今、自分が求めている「豊かさ」が何か、自分自身に問いかけてみることではないだろうか。また、それを得るために、行動してみることではなかろうか。
もしかしたら、天野氏がいうように、既に自分自身は幸せである。満たされている。ということに気付くだけで、物質的にも精神的にも豊かになることが出来るかもしれない。
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四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒 嗚呼 柳緑 花紅
上杉謙信の辞世の句だ。人生の美しさと感謝が感じられる言葉で大好きな言葉の一つ。
こう生きることが出来たら幸せだろうと感じる。
天地人で最近メジャーになってしまったのが、少しだけ残念ではあるが。






